つらい日々の中で、空の広さを思い出してみる|心が疲れたときの小さな整え方
どうしようもなくつらいとき。
朝、目が覚めても何もかもやりたくなくて、布団の中に仮初の安らぎを求め、ギリギリの時間になって、やっと起き上がる。
それでなくなった時間を取り戻すために、子ども達を急かし、自分も忙しなく準備して、急ぎ足で会社へ向かう。
仕事中は考えがまとまらず、何をやってもうまくいかない。
「あれもこれも、早くしなきゃ」
「こんなことに時間をかけて、なんて容量が悪いんだろう」
「このプレゼン、あの資料、どんなダメ出しをされるだろう」
終業時間と自分のキャパ、仕事の期日を算段し、タスクが増えると思うだけで気持ちが沈み込む。
何とかやり過ごして、帰宅した後も、バタバタと子どものことや家事に取りかかり、時折嫌気がさして現実逃避で時間を溶かし、ケンカする子ども達をしかりつけ、いい母親じゃないと自己嫌悪。
どうにかやり過ごし、ほっとできる夜のはずなのに、何をしても心から楽しめない。
ただ、つらさを紛らわす空虚な時間が過ぎていく。
結局、全然休めていない。
そして、また憂鬱な朝をくり返す。
そんな日々が続くと、どうしても足元ばかり見てしまう。
目の前のこと、やらなければいけないこと、不安な気持ち、頭の中をぐるぐる回る考え。
スマホを見て、また考えたり、気を紛らわせようと画面の上を彷徨ったり、小さな視野に囚われて、気づけばずっと下を向いたまま。
こうして視野が狭くなってしまう理由については、こちらでも少し触れています。
顔を上げる隙間なんて、ほとんどない。
以前、人の気持ちは視線の向きにも影響されると聞いたことがあります。
下を向くと、縮こまった身体と一緒に心も内側に閉じていく。
反対に顔を上げると、伸びた身体に呼吸が少し入りやすくなり、心もほんの少し前を向きやすくなる。
ほんの小さな違いですが、視線を上げるだけで、心の向きも少し変わることがあります。
このままじゃいけないと、気分転換に外を歩いてみる。
それで気持ちが晴れるならいいのですが、街の景色は意外と心を休ませてくれないこともあります。
行き交う人、街並みをつくる家々、看板やお店。
そこにはたくさんの営みがあって、目に入るものは「情報」になり、考えごとのタネになってしまう。
「仕事のこと、どうしよう」
「帰ったらあれもやらないと」
「みんな、普通にちゃんとできているのに」
そんなふうに、気がつけば思考の渦にまた呑み込まれて、目線も下がっていく。
もし、何を見てもつらいと感じるときは、無理に気分を変えようとせず、ただ休むことが必要なときかもしれません。
でも、そんな都会の喧騒の中でも、ちゃんと見上げれば、そこには空があります。
広くて、静かで、ただそこにある空。
心まで抜けていくような青い空に出逢えたり、雲の姿に季節の移ろいを感じたり、夕方の光が世界を彩っていることに気がつく。
曇り空にだって表情があります。
都会の空は、そびえ立つ建物に小さく切り取られていることもあるけれど、そんな小さな空だって、視線を上げて見つめれば、ビルの並ぶ街並みが景色になり、美しく輝く瞬間があります。
それは、いつも見ているはずの日常が、少し違って見える瞬間です。
つらい出来事が消えるわけではありません。
悩みがなくなるわけでもありません。
けれど、視線と一緒に、
少しだけ気持ちも変わる。
つらいときは、気持ちがどんどん入り込み、出口のない場所にいるように感じてしまう。
でも空を見上げると、
自分が広い世界の中にいることを思い出します。
状況は変わらなくても、
特別などこかに行かなくても、
見るものは変えられる。
足元だけを見ていた視線を、少しだけ上へ。
それで少しだけ心が緩んだら、日常の中の小さな美しさや、好きに気づける余白が生まれるかもしれません。
もしつらい日々を過ごしているなら、ほんの少しだけ顔を上げて、空を見てみてください。
立ち止まって、ほんの数秒でも大丈夫。
それだけでも、
いつもの日常が少し違って見えることがあります。
実際に、ただ外を眺めてみたときに感じた小さな変化については、こちらにも書いています。


